北京-パリとは

19世紀末、ガソリンエンジンを搭載した自動車が登場し、次第に富裕層に拡まっていった。まだ量産するには及ばす、1台づつカスタムメイドされた高価な存在である。やがて周囲を乗り回すだけでは飽き足らず、スピードや耐久性を競うレースが各地で開催され、自動車は利便性のみならず楽しさまでもが認知される存在になった。

一方、冒険家を名乗る人々は、こぞって辺境の地へ挑んだ。
より高い場所(エベレスト・チョモランマ登覇)、より南へ北へ(極点到達)、過酷な状況であればあるほど「征服」の喜びは大きく、更なる困難を求める強者達が未踏の世界地図を塗り潰ぶして行く。
自動車と冒険家との出会いが、新たな挑戦に結びつくことは想像するにやさしく、やがて期は熟した。

1907年1月31日、フランスの新聞「ル・マタン」紙にこんな記事が掲載された。



“北京-パリを自動車で。ルートは自由。優勝賞品はMamm社のシャンパン1本。自動車は馬に勝るか”
何とも洒落た参加募集記事に5組の挑戦者が名乗りを上げた。

ちょうど100年前、1907年6月10日に北京をスタートした一団は、思い思いのルートを進んで行くが、地図も道もガソリンスタンドも無い、困窮を極めた過酷な冒険ラリーだった事は言うまでもない。
1台もパリに戻ることはできないだろうという大半の予想に反し、62日後イタリアの名門ボルゲーゼ家の御曹司が運転する4気筒7433ccのイターラがパリ凱旋門に見事ゴール、自動車が馬に勝った瞬間である。(結果5台中4台が完走)



自動車創世記に開催された「北京-パリ1907ユーラシア大陸横断ラリー」は自動車の大いなる可能性を世に示し、世界的産業へと押し上げる原動力となった。各国の自動車メーカーが量産型を競って発表すると、瞬く間に世界中へ拡がり、莫大な収益が原動力となってモータリゼーションは加速を続けた。

100年後の今、自動車は地球の隅々にまで浸透し、人々の生活に欠かせない存在となったが、その代償として化石燃料の枯渇や環境に与える悪影響など、負の要素を抱えた事も紛れも無い事実である。



Team ACPは10年前、トヨタ「プリウス」の発表直後から、ハイブリッドカーによる環境キャラバン「エコ・ミッション」をスタートさせた。“自動車は何処へ向うべきか?”1999年の北米を皮切りに、ヨーロッパ、アフリカ(サハラ横断)、ヨーロッパ、日本縦断と各国の環境への取り組みをレポートしながら、人類のエゴイズムが地球に与え続けたインパクトを各地で目にして来た。ユーラシア大陸を横断する「北京-パリ2007」は、その集大成となる挑戦である。

創世記に開催されたレースから100周年、ハイブリットカー「プリウス」発売10周年にあたり、100年後の地球のため、10年先のモータリゼーションのあるべき姿を考える旅になればと思う。100年後の自動車はどんな形をしているのか皆目見当もつかないが、地球環境が人類の英知で温存され、自動車が楽しいものであって欲しいと願うばかりである。

※一部掲載内容・写真は以下書籍より引用させていただきました。


 
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